VIRGIN DUCATI | Carl Fogarty (カール・フォガティ) ドゥカティ人物辞典

Carl Fogarty (カール・フォガティ)

  • 掲載日/2011年04月14日【ドゥカティ人物辞典】

WSBKとドゥカティを王者たらしめた“アイズ・オブ・タイガー”
カール・フォガティ Carl Fogarty(1965-)

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2000年シーズン開幕、キャラミサーキットを走るカール・フォガティ。最後となったこのシーズンを彼は26位で終え、レーサーとしての活躍にピリオドを打った。

ドゥカティとともに達成した
4度のWSBKシリーズ王者

カール・フォガティは世界中の二輪レースファンにもっとも知られたイギリス人ライダーのひとりだ。とくにドゥカティとの関わりは深く、世界スーパーバイク選手権(WSBK)において通算4度の優勝を記録した。彼の活躍の舞台はサーキットにとどまらず、公道レースであるマン島TTにおいても優勝している。走る場所を選ばない彼のスタイルと速さを、人は畏敬の念をこめて「King Carl――帝王」と呼んだ。

フォガティがレースをはじめたのは15歳の頃で、マン島で行われたサウザンアイランド100ロードレースといったエントリーレースを中心にスポット参戦していた。彼がレースをはじめたきっかけに、1977年のマン島マンクスGPシニアクラスでTZ350を走らせて優勝したジョージ・フォガティ――彼の父の影響があったことは想像に難くない。その息子はマン島のレースで2位や3位に入賞したが、決して満足はしなかったという。

そして85年、本格的にレース参戦をはじめたカールは、中古のTZ250を買い、マン島マンクスGPニューカマークラスで優勝し、才能を開花させていったのである。

その頃は2ストローク車がレースの中心的存在だったが、大排気量4ストローク車の時代が来ることを予見した父親のアドバイスにより、カールはホンダRC30を購入し、レース参戦を続けた。そして88~90年の3年に渡ってTT-F1世界選手権で優勝するという快挙を成し遂げるのである。また、その頃に地元のパブで出会ったミカエラと恋に落ち、結婚生活をスタートさせている。

しかしWSBKで勝利を積み重ねはじめたドゥカティに対して、ホンダはRC30でのレース活動の停止を決定する。これを受けたカールは、全財産に親からの借金を足してドゥカティ888を購入し、プライベーターとしてWSBKにフル参戦する。そして92年、母国ドニントンパークでの優勝、アッセンでの2位を含めてシーズンを9位で終えた。これを認められたカールは翌年からドゥカティワークス入りを果たすのだ。同時に世界耐久選手権にフランスカワサキから参戦し、転倒を喫した鈴鹿以外はすべて優勝する圧倒的な強さを見せつけている。

ルーキーイヤーの93年こそカワサキのラッセルとの争いに敗れ、シリーズランキング2位となったが、916を手にした翌年は念願のWSBKタイトルを獲得。TT-F1や世界耐久での活躍と併せて、彼が「4ストロークの王者」であることは誰もが認めるところとなった。94年、95年、98年、99年とシリーズタイトル4回を獲得した。

「タイトルは関係ない。このレースに勝ちたかっただけだ」

「レースを走るからには、必ず勝つ。他のライダー、マシンをすべて抜き去り、真っ先にチェッカーを受ける。今も昔もその思いに変わりはない。あとのことを考えずに、今目の前の勝利を目指す。それが僕のレーシングスタイルだ」

彼はレース後のインタビューで何度もそう答えた。カール・フォガティのその闘争本能こそが、彼の記録的な勝利をもたらしたのだ。そしてそのすべてをドゥカティとともに勝利したことは、彼とドゥカティの相性の良さ、彼の才能を何よりも開花させたのがドゥカティであったことを裏づける何よりの証拠である。

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「俺がレースを辞めるときはドゥカティ以外にない」と語っていたカール・フォガティは、その言葉を実践して、最後のシーズンをドゥカティとともに戦った。

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