VIRGIN DUCATI | Marco Lucchinelli (マルコ・ルッキネリ) ドゥカティ人物辞典

Marco Lucchinelli (マルコ・ルッキネリ)

  • 掲載日/2011年04月07日【ドゥカティ人物辞典】

カジバ時代のドゥカティを支えた 陽気なイタリアンレーサー
マルコ・ルッキネリ Marco Lucchinelli(1954-)

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スズキRG500を走らせるマルコ・ルッキネリ。1981年に世界GPチャンピオンを獲得した。

ドゥカティをWSBKの舞台で
優勝させた立役者

マルコ・ルッキネリは1954年にイタリア・ボラーノに生まれた。20歳のときにアエルマッキの250ccシングルでヒルクライムレースをきっかけにレース人生を歩みはじめる。その後、ラベルダやスズキのマシンでレースを戦ってキャリアを重ね、世界最高峰の舞台であるGPでも成績を残すようになる。そしてヤマハTZ750で初めてのGP優勝を決めると、その年のGPシリーズで4位に入賞した。するとルッキネリの才能は大きく開きはじめ、1981年にはスズキRG500で世界チャンピオンを獲得。翌年にはGP500へ復帰するホンダに認められて3気筒のNSR500を走らせるようになる。しかしホンダとの相性は悪く、とくにフレディ・スペンサーが移籍してからというもの、ルッキネリがホンダで活躍する場面はなくなっていった。

その頃、MVアグスタのオーナーであったジャンカルロとクラウディオのカスティリオーニ兄弟はアエルマッキを買収、ほどなくして新たなバイクメーカーである「カジバ(CAGIVA)」を創業、アエルマッキの製造施設を使ってレーシングマシンを製作していた。カスティリオーニはそんなルッキネリに目をつけたのだが、まだキャリアのないカジバのマシンは完成度が低く、ルッキネリをもってしても成績を残すことが非常に困難だった。ルッキネリはマシンの開発が進むまでレースに出ないことを明らかにし、周囲にはこれを事実上の引退と見る者もあった。

そんなルッキネリが復活するのは、カスティリオーニ兄弟がドゥカティを買収したことがきっかけとなった。1986年、ドゥカティの経営を健全化するにはレースが効果的と考えたカスティリオーニは、デイトナBOTTにワークスエンジンを搭載したF1パンタを持ち込み、これにルッキネリを乗せた。ルッキネリはこのレースを見事に勝利し、1ヶ月後に開催された世界TT F1選手権でホンダのジョイ・ダンロップを破って優勝する快挙を見せたのだ。これは今もドゥカティの歴史に残る勝利である。

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87年はイタリア国内のレースでもカジバドゥカティを走らせ、数多くの勝利をもたらした。ボスのカスティリオーニと歓びを分かち合うルッキネリ。

ルッキネリの勝利とともにドゥカティの新時代がはじまった。プロトタイプの851をデイトナや国内オープンレースで走らせ、勝利をもぎとった。1988年には世界スーパーバイク選手権(WSBK)に参戦、ドニントンでの最初のレースで優勝を決め、ドゥカティの速さを世界に認めさせたのだ。それからしばらくルッキネリはドゥカティを走らせていたが、レーサーとしてのキャリアを終わらせ、活躍の場をチーム監督へとスライドさせた。そしてレイモン・ロッシュを擁したドゥカティとルッキネリは1990年に悲願のチャンピオンを勝ち取ったのだ。

しかし麻薬常習者であることが明らかになったルッキネリは逮捕され、1年間の謹慎と治療を余儀なくされてしまう。だが彼の才能を認めていたカスティリオーニ兄弟はルッキネリに対して寛大な許しを与えた。ルッキネリはその後、ドゥカティを走らせるプライベートチームの監督やテレビのレース解説者などを務めた。

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陽気なイタリアンのルッキネリは、レーサーとしても監督としてもその才能を如何なく発揮した

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